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文京区役所の特徴/ホームメイト

文京区は歴史を感じさせるスポットや豊かな自然が点在しており、住み心地の良い生活空間が形成されている地域です。区内には大学など教育機関が多いことから「文教のまち」、また、著名な文豪らに愛されたことから「文豪のまち」と称されることもあります。文京区の発展の経緯や名所、ゆかりのある文豪らについて触れながら、文京区の行政の中枢を担う「文京区役所」の取り組みについて、ご紹介しましょう。

文京区の歴史と特徴

東京23区の中心に位置する文京区は、大規模な緑地や水辺空間が広がる自然豊かな街です。区内には閑静な住宅地が広がる一方で、鉄道をはじめとした交通網も発達しています。文京区がどのように発展してきたのか、まずは地域の歴史から見ていきましょう。

「文教のまち」になった歴史

文京区一帯に人々が住みはじめたのは、旧石器時代と推定されています。区内には古い時代の遺跡が点在しており、1884年(明治17年)には、現在の弥生町で「弥生土器」が発見されました。

江戸時代になると「傳通院」(でんづういん)などの寺社が建立され、少しずつ街が形成されていきます。江戸時代中期にはすでに市街地化し、多くの武士が居住するとともに商業が発展しました。

文京区が現在の姿に近づいたのは、「東京帝国大学」(現在の「東京大学」)ができた明治時代のころ。明治時代には「東京高等師範学校」(現在の「筑波大学」)や「東京女子高等師範学校」(現在の「お茶の水女子大学」)も設立され、学問の色が強くなった文京区は「文教のまち」と呼ばれはじめます。その後は1947年(昭和22年)に地方自治法が制定され、小石川と本郷が合併する形で文京区が正式に誕生しました。

歴史と文化と緑の街を目指す

文京区役所

文京区は、23万人を超える人が居住する街です。面積は東京23区中20位の小さな区ですが、区内の鉄道駅は20ヵ所にも及び、落ち着いて暮らせる住宅街が広がっています。

また、大学などの教育機関や文化遺産、自然豊かな庭園や寺社が多いことも文京区の特徴です。「第二次世界大戦」では相当部分が焼失したものの、昭和時代から平成時代にかけて、全域で復興が進みました。

現在の文京区役所は、区南部にある「後楽園駅」のすぐ隣に位置しています。2020年(令和2年)度からは区の総合戦略が始動し、「歴史と文化と緑に育まれた、みんなが主役のまち」をコンセプトにした様々な取り組みが進められるようになりました。

文京区の名所

文京区の名所としては、「東京大学」や「東京ドーム」、「小石川植物園」などが有名です。区全体としては文化的な名所の多い街であるとともに、観光客や周辺住民を呼び込むスポットも充実しています。

東京大学

文京区の南東部には、全国から多くの学生が集まる東京大学があります。本郷キャンパスの「旧加賀屋敷御守殿門」(きゅうかがやしきごしゅでんもん)は国の重要文化財に登録されており、通称「赤門」(あかもん)として有名です。

東京大学は「教育・研究活動に供すること」を目的として、本郷キャンパスの構内を一般向けに開放しています。銅像や史跡などの探訪ができるため、東京大学の学生でなくても構内の雰囲気を味わえます。学問や先端技術に興味がある方は、大学主催のイベントに参加しても楽しめるでしょう。

東京ドーム

東京ドーム

文京区の南部にある東京ドームは、1988年(昭和63年)に建てられた地上6階・地下2階建ての多目的スタジアムです。4万6,755m²の面積を有しており、最大で5万5,000人を収容できます。東京ドームは、野球以外にイベントやコンサートなども多く開催しています。また、周辺には娯楽施設や飲食店などが集まる「東京ドームシティアトラクションズ」もあるため、付近に立ち寄るだけでも観光気分を味わえるでしょう。

小石川植物園

白山3丁目にある「小石川植物園」は、東京大学が植物学を研究するために運営している施設です。その歴史は古く、1684年(貞享元年)には江戸幕府によって前身にあたる「小石川御薬園」(こいしかわおやくえん)が設けられました。

現在の小石川植物園は16万1,588m²の広大な敷地を持ち、傾斜地などの地理的特性を活かして様々な植物を展示。管理されている植物は4,000種ほどですが、本館の標本は約80万点にも及びます。

文京区にゆかりのある文豪

数々の文豪に愛された文京区は、「文豪のまち」と称されることもあります。文京区にゆかりのある文豪としては、「夏目漱石」(なつめそうせき)や「石川啄木」(いしかわたくぼく)、「森鷗外」(もりおうがい)などが有名です。

夏目漱石

千円札の肖像画にもなった夏目漱石は、1884年(明治17年)に小石川植物園の南にある「新福寺」(しんぷくじ)に間借りして住みはじめました。東京大学を卒業したあとは、傳通院に近い「法蔵院」(ほうぞういん)に下宿先を移したとされています。

その後は愛媛県松山市やイギリスで暮らしますが、1903年(明治36年)には文京区の千駄木町(せんだぎちょう)に転居。文京区を活動拠点として、「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」などの名作を残しました。

石川啄木

歌人や詩人として有名な石川啄木は、3度にわたって文京区に上京しています。最初の上京は中学校を退学した1902年(明治35年)であり、現在の音羽(おとわ)を下宿先に選びました。2回目の上京では弥生町、3回目は菊坂町(きくざかちょう)が下宿先です。

石川啄木が菊坂町に住みはじめたのは、言語学者の「金田一京助」(きんだいちきょうすけ)が関係しています。金田一京助が菊坂の「赤心館」(せきしんかん)に下宿していたため、同郷の石川啄木も同じ建物に住むようになりました。赤心館で創作活動に専念した石川啄木は、のちに「一握の砂」(いちあくのすな)や「悲しき玩具」などの名作を書き上げます。

森鷗外

「舞姫」や「阿部一族」などの代表作がある森鷗外も、1890年(明治23年)から文京区の千駄木町57番地に住んでいました。その2年後には同じ千駄木町の21番地に転居。増築した2階部分を「観潮楼」(かんちょうろう)と名付けました。ちなみに、森鷗外が最初に住んだ千駄木町57番地の家には、のちに夏目漱石が入居しています。

観潮楼は、森鷗外が生涯にわたって文学活動を続けた建物です。1945年(昭和20年)に第二次世界大戦で焼けてしまいましたが、礎石や敷石などは当時のまま残されています。

文京区役所へのアクセス

施設名 文京区役所
住所 〒112-8555 東京都文京区春日1-16-21
電話番号(代表) 03-3812-7111
駐車場の有無 有り(文京シビックセンター、130台)
※区役所利用の場合は30分無料、以降、30分ごとに250円
※身体障害者手帳等をお持ちの方は、5割減額
アクセス方法 東京メトロ丸ノ内線・南北線「後楽園駅」下車、徒歩1分
都営地下鉄三田線・大江戸線「春日駅」下車、徒歩1分
JR総武線「水道橋駅」下車、徒歩9分
開庁時間・休日 月~金曜日8:30~17:00
※毎週水曜日は、一部の業務を20:00まで延長
毎月第2日曜日は、9:00~17:00まで
一部の業務に限り受付
休日:土日祝日、年末年始(12月29日~1月3日)

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