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公営ギャンブルはどこの管轄?



現在、日本には以下の4つの公営ギャンブルが開催されています。経済産業省が所管する競輪とオートレース、国土交通省が所管する競艇、そして農林水産省が所管する競馬です。この他、文部科学省が指導監督するスポーツ振興くじ(toto)もよく知られていますが、なぜ国の機関がギャンブルを運営するのでしょうか。それをひも解いてみましょう。

公営ギャンブルの目的

公営ギャンブルの目的

日本での賭博行為は、刑法に規定された「賭博及び富くじに関する罪」として犯罪行為だとされています。ただし、合法とされているものもあり、デリバティブ取引や商品先物取引、そしてお年玉付郵便はがきなどは、正式な契約行為とされています。

省庁が管轄する公営ギャンブルもこれらと同様に合法とされています。それは、公営ギャンブルを開催する国や地方自治体への経済的貢献が期待されるからです。経済産業省による競輪とオートレースは「産業の発展と福祉事業」を目的とし、国土交通省による競艇は「船舶の発展と社会事業」を目的としています。文部科学省によるスポーツ振興くじは文字通り「スポーツの振興」を目的とし、そして農林水産省による競馬は「畜産振興と福祉事業」を目的としています。

近代日本における競馬の発祥は、江戸時代末期の1860年(万延元年)の横浜だとされています。外国人の居留地においての開催であったため、当時の幕府による賭博禁止令の手が伸びなかったのです。ところがこれが人気を博し、明治時代に入って日本人たちも競馬に興じるようになり、西洋式の馬券の販売なども行なわれるようになっていきました。

ただし、この頃の日本産の馬は競馬用の馬としては西洋の馬に劣っており、品種改良が着手されるようになりました。明治維新後の新政府の、質の良い軍用馬を多く調達したい意思も働き、国策として良質の馬の成育と競馬の開催を奨励。そして1923年(大正12年)、陸軍の働きかけにより「競馬法(旧競馬法)」が制定され、その管轄省庁が陸軍馬政局とされました。しかしその年のうちに馬政局が廃止となったため、農商務省(現:農林水産省)畜産局に設置。

その後1948年(昭和23年)に現在の競馬法に改正され、引き続き農林水産省が競馬の所管を担当することとなり、これが現在の公営競馬にも続いているのです。

公営ギャンブルの中で光る競馬事業

公営ギャンブルの中で光る競馬事業

多くの公営ギャンブルが、実は赤字経営に苦しんでいます。戦後に競馬に加えて競輪、オートレース、競艇が相次いで開催されるようになり、公営ギャンブルの人気が高まっていきました。しかし昭和30年代に入ると、道徳的な観点から見て、行政がギャンブルを国民に提供することのぜひを問う声が高まり、1962年(昭和37年)には競技場の新設が行なわれなくなりました。さらに1990年代のバブル崩壊により不景気となると、その他の娯楽の多様化の影響も受け、各地の公営ギャンブルで赤字となるものが増え、収益が悪化することにより、ギャンブル事業から撤退する自治体も増え始めました。

一方、農林水産省が所管する競馬事業は、日本中央競馬会(JRA)を中心として業績を上げ続けています。その一番の立役者と言われるのが、元農林大臣の有馬頼寧(ありま・よりやす)です。

有馬は東京帝国大学農科(現:農学部)を卒業後、農商務省(現:農林水産省)に入省し、1924年(大正13年)に衆議院議員となりました。農業の知識を買われて1937年(昭和12年)には農林大臣に就任する他、農政の研究者としても注目される人物でした。またプロ野球の東京セネタースを個人で経営するなど、篤志事業やスポーツの振興にも深い造詣を持っていました。そして1955年(昭和30年)、有馬が70歳の年に日本中央競馬会の第2代理事長に就任します。彼のその後の尽力により公営競馬が保護され、設備が充実し、競馬が広く発展する基礎となったのです。

現在も続くG1レース「有馬記念」は、この有馬頼寧の功績をたたえて名付けられたものです。農政のプロが保護した競馬事業が今でも人気なのは、こういう理由があったのです。