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役所情報

第15-17代宮城県知事の浅野史郎氏



日本の歴代都道府県知事の中には、知事として大きな功績を残すなどして、有名になった人が数多くいます。ここでは、そんな知事の一人である、元宮城県知事の浅野史郎氏について、彼の経歴や具体的な功績を振り返りつつ紹介します。

浅野史郎氏の生い立ち

浅野史郎氏の生い立ち

浅野史郎氏は、1948(昭和23)年2月8日に岩手県大船渡市で生まれました。幼少のころは宮城県仙台市で過ごし、宮城県仙台第二高等学校を卒業すると、東京大学へ進学します。東京大学法学部を卒業後は、当時の「厚生省」に勤め、在外研究員としてアメリカのイリノイ大学への留学を経験した他、「厚生省社会局老人福祉課課長補佐」、さらには「外務省在アメリカ合衆国日本大使館一等書記官」、「北海道庁福祉課課長」、「厚生省児童家庭局障害福祉課課長」など、数々の役職を歴任しました。宮城県知事となったのは、1993(平成5)年のことです。以後、3選を果たし、12年間宮城県の行政を支えました。そして4選目は出馬しないことを明かし、そのまま知事を退任します。

その後は、東北大学大学院法学研究科附属法政実務教育研究センター客員教授、慶応義塾大学総合政策学部教授として教鞭をとった時期もありますが、2007(平成19)年には東京都知事選にも立候補(次点で落選)するなど、政界から離れることはありませんでした。2009(平成21)年にはATL(成人T細胞白血病)を発症しましたが、造血幹細胞移植によって2011(平成23)年には復帰しました。このときの経験は、『運命を生きる-闘病が開けた人生の扉」(2012年/岩波書店)という著書にまとめられています。また知事という立場から執筆した『許される嘘、許されない嘘-アサノ知事のことば白書』(2007年/講談社)など様々な著書を残しています。

浅野史郎氏の主な政策

12年間の県政の中で、浅野史郎氏は様々な政策を行ないました。ここでは主なものを紹介します。

障害者施設解体
かねてより福祉に深くかかわってきた浅野氏は、「知的障害者を福祉施設に収容する」という風潮には反対の意を示し、「障害者にも住みやすい街に整備ができていれば、地域内で不都合なく暮らすことができる」と論じていました。そこで、「知的障害者施設を解体する」という改革を提案したのです。とは言え、解体後の「街の整備」に関しては計画が不透明であり、結果批判を生むことになりました。
東北楽天ゴールデンイーグルス誘致
プロ野球団「楽天ゴールデンイーグルス」の宮城県誘致に関与しました。現存していた球場の改修も含めて話題を呼び、地元の観光などが活気づく一因となりました。