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役所情報

第17代宮崎県知事の東国原英夫氏



歴代の都道府県知事の中には、元タレント、元お笑い芸人、元作家といった「有名人知事」が大勢います。ここでは、そんな有名人知事のひとりであり、タレントとしても活躍していた元宮崎県知事、東国原英夫氏について紹介します。

東国原英夫氏の生い立ち

東国原英夫氏の生い立ち

東国原英夫氏は、1957(昭和32)年9月16日に宮崎県都城(みやこのじょう)市で生まれました。高校まで同市で過ごしたのち、大学入学を機に上京し、1980(昭和55)年に専修大学経済学部を卒業すると、同年12月、フジテレビ系列の一般人参加型バラエティでチャンピオンになります。そして1982(昭和57)年にはお笑いタレント・ビートたけしの一番弟子となります。当初は、「東英夫(ひがしひでお)」という芸名で活動していましたが、のちに「そのまんま東」と改名しました。そしてビートたけしの冠番組である「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」の他、様々なバラエティ、ドラマ、ラジオなどに出演し、飛躍的に知名度を上げました。

しかし、そんな最中、1998年にビートたけしらと共に講談社を襲撃した「フライデー事件」と呼ばれる暴行事件を起こし自主謹慎期間に入ります。この間、猛勉強をしていたことが功を奏し、2000年に早稲田大学に入学、そして2006年には所属事務所との契約を解消し芸能界を引退すると、翌年宮崎県知事となるのです。その後、2011年には任期満了で知事から退き、2012年からは衆議院議員総選挙で当選、政界へと返り咲きました。

東国原英夫氏の主な功績

東国原英夫氏の県政は、県外の人から見ると知事になってからも多数のテレビ番組に出演し「宮崎県のPR業を行なっている人」というイメージが先行しますが、それ以外にも多くの功績を残しています。ここでは、その中でも主なものを紹介します。

経費削減について
椅子や机、公用車など、知事が使用するあらゆるものをもとより質素なものに替え、もとの車は競売にかけるなど、できる限りの経費を削りました。知事公舎にも批判的で、任期中は一度も公舎に住むことはありませんでした。また、退職金についても「払うべきかどうかは議会にまかせる」と発言しています。
鳥インフルエンザへの対応
2007年に猛威を振るった鳥インフルエンザは、宮崎県で多くの被害を生みました。そこで早急に財政支援を求めたのはもちろん、宮崎県産の鶏の評判が落ちないよう、自らCMなど各メディアで熱心にアピールを続けました。これにより、県内産の鶏肉や鶏卵の出荷量は右肩上がりに増加しました。
定例記者会見への提案
定例会見に必要性を感じられず、「定例会見で毎回同じ話を繰り返すくらいなら、その時間を公務に回したい」と提案しました。あくまでも公務の効率を上げるためでしたが、メディアからの批判は避けられませんでした。