ご希望の市区町村役場/県庁/省庁情報を無料で検索できます。

施設リサーチ/ホームメイト・リサーチTOP

パブリネット
市区町村役場/県庁/省庁
トップページへ戻る
トップページへ戻る

役所情報

県庁の成り立ちと歴史



全国47都道府県にある都道府県庁は、明治時代に作られました。ここでは、県庁の成り立ちと歴史について紹介します。

県庁の起源

県庁の起源

各都道府県に都道府県庁ができたのは、1871(明治4)年のことです。「廃藩置県」が行なわれたこの年、全国各地の行政や政治を日本の中央政府(明治政府)が一元化することが決まり、全国に地方公共団体が設けられることとなりました。

このときに全国に置かれた地方公共団体は「府」と「県」のみでした。その数は、現代よりはるかに多く、例えば現在の茨城県にあたる常陸国だと、廃藩置県当初は水戸県、土浦県、牛久県など14もの県に分けられていました。その数は、全国で3府302県にものぼり、それぞれに「府庁所在地」と「県庁所在地」が設置されていました。このときに設けられた「府庁所在地」と「県庁所在地」が、現在の「都道府県庁」の起こりとされています。

県庁の成り立ちと歴史

県庁とは、それぞれの都道府県の行政を司る機能を持った行政機関のことです。府庁、県庁を置くに適した地域は、各府県の人口密集地とされています。過去には、府庁、県庁には、中央政府から知事と県令と呼ばれる役職の人物が配置され、各々に決められた地域の行政を行なっていました。

都道府県数と県庁数の推移

1871年廃藩置県直後は3府302県あった府県の数ですが、翌年の1872(明治5)年には3府72県、1883(明治16)年には3府44県になるなど、統合や分立を繰り返し、現在の1都1道2府43県の形へと移っていきます。もちろん、府庁、県庁の数もそれによって数が変わるため、人員の増減や庁舎の所在地はそのたび各地で大きく変動していました。

公選制ができるまで

府庁・県庁の長である知事・県令に関しては、初期は伊藤博文(兵庫県知事)や松方正義(日田県知事)など、のちの内閣総理大臣となる人物もおり、当時から重大な職務であったことが伺い知れます。また権限も現代よりも強かったことからか、当時の知事・県令は「官選」であり、民間人は選ぶ権限を与えられていませんでした。しかし、第二次世界大戦後の1946(昭和21)年、連合国軍占領下の日本は民主化を進めていたこともあり公選制へと変更され、各地の住民による投票によって選ばれるようになりました。そしてその翌年の1947(昭和22)年10月、「全国地方自治協議会連合会(現在の全国知事会)」が設立されると、各都道府県の行政などの活動が円滑に進められるようになり、体制が整備されていきます。